建設現場でがんばる若手ゼネコンマンへ 〜その27〜
【会社を辞めよう】
購買部での仕事は、とても順調でした。
本当に何も問題無く、ストレスも無く、とても満足な日々でした。
ただその一方で、「現場社員が足りていない」という声は、日に日に高まっていて、唯一の僕の気掛かりでした。
『僕は現場よりも、購買部に置いておいた方が役に立ちますよ』
そんなアピールの意味も込めて、仕事を頑張っていました。
しかし、そんなこととはまるで関係ない噂話から、僕は考え出すことになります。
それは、”うちの会社は他社の合併するのではないか?”というものでした。
そんなことになれば、業界としてはかなりのインパクトになる話でした。
しかし、今現在もそんなことにはなっていないですし、一部報道があったとは言え、噂話程度だったのだと思います。
ただ、この件が切っ掛けで僕は
『この先、何があっても不思議じゃないんだな。』
『自分はどうやって生きていくのか?』
『自分はどうやって生きていきたいのか?』
を考えるようになりました。
当時、僕は36歳でした。
役職定年の55歳まであと19年。
定年の60歳まであと24年。
まだまだ長い道のり。
折り返し地点にも全然来ていません。
しかし、”60歳以降”のことを考えると、例えば当時の平均寿命であった78歳程度まで生きられるとしたら、+18年くらいある訳です。
『これも、なかなか長いな。』
『この間、何をやったらいいんだ?』
『いや、何が出来るのか?』
そんな考えが、どんどん大きくなっていきます。
僕の父親は積算事務所を営んでおり、自分で引退が決められる状況です。
強制的に仕事を奪われることは無い訳です。
(事実、76歳を過ぎた今も現役バリバリで、仕事してます。)
社内の僕の周り先輩方を見ると、定年間近の人が何人もいました。
それぞれ個人個人が、”どんなスキルを持ち、どんな人脈を持ち、何を考え、これからどんな人生を送りたいのか?”は、わかりません。
もちろん、経済的な状況もわかりません。
会社の顔だけがその人の全てでは無いのことは十分わかった上で、それでも『この人達は、会社を退職した後、どうやって生きていくんだろう?』と思ってしまいました。
要は、
『大きな会社の社員ではあったけど、その看板が外れた瞬間、世間で必要とされる力はあるのか?』
『60歳から”初めまして”の世界(仕事)に飛び込んで、役に立つのか?楽しくいられるのか?』
『何より”稼げる”のか?』
という、素朴なそれでいて切実な疑問が湧き上がりました。
大変申し訳無い話ですが、僕と机を並べて仕事をしている定年間近の先輩方が、正直定年後に即戦力として、どこかで活躍している姿が全く想像出来ませんでした。
つまり、”会社内では仕事が出来ても、一歩世間に出たら、通用しないのでは無いか?”という雰囲気がかもしだされていたということです。
もちろん、全員がそうではありません。
『この人、仕事出来るな。すごいな。』
という人もいました。
尊敬出来ましたし、助けても頂きました。
しかし、そんな人は極わずかでした。
僕は
『ここは居心地が良いけど、ここに居続けていいのか?』
『そもそも、ずっとここにいられる保証はあるのか?いや、厳密に言えば無い。会社だっていつどうなるか、誰にもわからないのだから。』
『社内でしか通用しないスキルしか持たずに、定年間近で世間に放り出されたら、戦っていけるのか?いや、かなり難しいのでは?』
『自分の定年間近で会社がおかしくなったら、取り返しがつかない。』
『そもそも、社内でしか通用しないスキルでは、先々生きていけない。』
『といことは、もしかしたら、このままここに居続けるのは”リスク”なのでは無いか?』
そう考えてしまいました。
しかし、そうは言っても、大きな会社です。
その時は”会社がおかしくなるなんて、未来永劫あり得ない”くらいの信頼度がありましたので、会社に居続ければ、60歳までの経済的な安定は得られたと思います。
しかし、僕は”60歳までの経済的な安定”よりも、”60歳以降の自分の生きがいと経済的な可能性”に掛けた方がリスクが低いんじゃ無いか?と考えてしまいました。
つまり、
『今、会社を離れるということは、60歳までの安定した収入を失うことになる。』
『しかし、自分のがんばり次第では、60歳までに失うことになる収入に近づけるかも知れないし、上回ることが出来る可能性もある。』
『何より、60歳までがんばって築いた自分のポジションと共に更に成長出来る。』
『それが出来れば、失う収入以上の収入と”得られないと思われた生きがい”を得られるのでは無いか?』
と考えました。
『会社を辞めよう』
そう考え始めた瞬間でした。
ただ、会社の仕事が嫌になってる訳では無かったので、その後も全く変わらず順調に仕事をこなしていました。
『このままではまずい。会社を辞めなければ。』
と思い始めたものの、
『では、いつ?』
というのは、正直自分でもよくわかりませんでした。
それからしばらく、なにごとも無い日が過ぎました。