建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その15〜

Photo by rabo_t

【僕が現場でやらかしたこと、あれこれ(4)】

事件の始まりです。

20時30分くらいにお開きになったと思います。
新人3人は後片付けも免除され、帰宅の途につきました。
僕たちは慣れない場で緊張もしていたので、「一息つこう。コーヒーでも飲んで行こうか?」となり、目についた近くのファミレスに入りました。
コーヒーをひと口、ふた口。
『あれ?ちょっと調子悪いぞ。』
僕はトイレに行きました。
すると、どんどん具合が悪くなり、トイレから出れなくなりました。
トイレにこもったまま、10分、15分経ったでしょうか?
なかなか回復しない中、僕は必死にトイレから出て、友達のところに行きました。
『ちょっと飲み過ぎたわ』
出来るだけ平静を装いながらも、すぐに店を出ました。
最寄駅から3人の帰る方向はバラバラでした。
駅で2人と別れると、僕の緊張の糸も切れたのか、再び強烈な気持ち悪さに襲われ、駅のトイレに駆け込みました。

正直、これは唯ごとではありませんでした。
(ただの”悪酔い”なんだと思いますが)
大学・大学院時代、体育会系の部活に所属していたこともあり、かなり酷い飲み会に結構出ていて、割りとお酒は強い方だと思っていました。
決して好きでは無いけど、弱くは無いかと。
特に、地獄のような大学1年2年の酒席でしたが、この時感じた具合の悪さはそれを凌ぐ状態で、ここまで苦しんだことが無いくらいの苦しさでした。
何故こんなことになっているのか、全くわからなかったので、軽くパニックにもなっていました。

トイレから出ると家に電話して、弟に車で迎えに来るように頼みました。
とは言え、弟も免許を取ってまだ割りと日も浅く、更に夜だったので、弟が行ったことのある新宿で僕を拾うことになりました。(当時はまだナビが無く、行ったことの無いところに行くには、地図をしっかり見る必要がありました。今だと考えられないくらい面倒ですね。)

なので、僕は必死で新宿に向かいました。
何とか電車に乗り込むも、なかなかの混み具合で座れません。
しかし、立っていることも出来ず、ドアの脇に座り込みました。
人生で初めて電車で座り込みました。
あれ以来は一度もありません。
何とか新宿に辿り着き、南口で待ちました。
どのくらい待ったかわかりません。
やがて、弟がやって来ました。
僕は後部座席に倒れ込むとそのまま眠りにつきました。
正直、これは弟に本当に感謝です。

しかし、本当の地獄はここからでした。

朝になりましたが、一向に酔いが醒めません。
気持ち悪さは全然変わらず、お茶をすするのが精一杯。
それでも、現場に行かねばなりません。
当たり前です。
しかも、今日が正式な現場配属初日ということで、職人さん達に朝礼で自己紹介することになっていました。
恐らくこのタイミングを逃すと、正式にご挨拶することなんてなくなってしまうでしょう。
しかも、初日から遅刻(欠席)”、”しかも、原因が体調不良(二日酔い)”。
そんなことが知れたら、ダメなヤツ・情け無いヤツ・現場舐めてるヤツ、と思われても仕方ない状況です。
なので、遅刻も許されません。
そう思い、僕は必死に現場に行きました。

そして、なんとか無事に、朝礼の自己紹介も終えました。

がしかし、やはり、二日酔いは解消して無かったんですね。
朝礼終了と同時に、僕は更衣室に向かい、そこで倒れました。
二日酔いの状態から抜け出せたのは、なんと15時くらいでした。
それまで本当に冗談では無く、動けませんでした。
途中、友達や先輩が様子を見に来てくれましたが、生きていることを伝えるだけで、精一杯でした。

動けるようになり、更衣室を出て、恐る恐る現場事務所に行くと、課長から
「お、大丈夫か(笑)?」
副所長から
「お前、何やってんの?」
所長からは
「昨日、ちょっと張り切り過ぎちゃったかな(笑)?」
と声を掛けて頂きました。
みんな、優しい人たちで良かったです。

これ、単純にお酒の失敗ですよね。
でも、僕は今までの人生で、”お酒で失敗した”と思う経験は、本当にこれだけなんですよね。
一度に飲んだ量がこの日倍以上なんてことも、これまでざらにあったと思います。
でも、この日は何故かこうなっちゃったんですよね。

想像してみてください。
あなたの職場で、配属初日に二日酔いで現れて、朝から更衣室で寝込み、15時過ぎにフラフラ職場に現れた新人がいたら、その新人に対してどう思うか?
まあ、前日一緒に飲んでる訳ですから、理由はわかっているとは言え、
“なんだ、こいつ?”
ですよね、普通。

とにかく、社会人スタートを切った途端に、”終わった”気がして、情け無さと同時に、
『何でこんなことになったんだろう?』
と不思議な気持ちでいっぱいでした。

そんなこんなで、『波乱の現場人生』のスタートでした。

思えば、これから起きる現場人生の予兆だったのかも知れません。

ただこれも、今となっては、思い出すたびに苦笑してしまう、とても良い思い出です。