建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その7〜

【大阪ひとつ目の現場】

3年生(入社3年目)になりました。

関西支店に転勤になり、大阪の現場に配属になりました。
現場は大阪の中心地、”なんばグランド花月”からほど近いところでした。

この現場も、僕の中ではなかなかのインパクトでした。
何しろ周りみんな関西弁(笑)。#当たり前
上司・先輩・後輩(初めての後輩)も関西弁。
専門業者の番頭さん、職長さんの挨拶は「まいど!」。
そうだろうな、とはわかってはいたけど、かなり衝撃でした。#嫌ではなかったです

現場は現場で衝撃的でした。
というのも、僕が入った時は工期中盤でしたが、既に突貫に近い状態で、現場内は雑然としていました。
これが結構衝撃的だったんですよね。
東京の現場は、現場内も非常に厳しく管理されていて、とても整然としていました。
なので、環境が良くミスやトラブルが生まれにくい状態でした。
それとは、全く違う状態だったんですね。
『このままでいいはずは無い』と思った僕は
「まず、片付けましょう。」
「不要なものはどんどん処分しましょう。」
「いるものの置場を決めましょう。」
「これを一日の終わりに確認しましょう。」
と現場のメンバー、各職長さんたちに声を掛けて、実行しました。
僕自身も土嚢袋を持って、一日中現場を歩いてゴミを拾いました。
すると、段々と現場が片付いてきて、きれいな効率良く作業が出来る環境になっていきました。

これが、僕にとっての”ひとつのターニングポイントだったかな?”と思ったりします。

東京時代の僕は、先輩の後をついて回り、指示されたことをやっていました。
突然、訳もわからず他の上司から怒られ、指示されたことも何度もありましたが、それも言われるがままにやっていました。
そんな僕だったのですが、この現場では、現場で見たこの状況が許せず、『もっとこうした方がいい』と感じたままに発言し、行動することができました。
単純に”ダメだ”と感じたことを改善するために、発言と行動することが出来たんですね。

“何故、僕にそんなことが出来たのか?”自分ではその時はわかりませんでしたが、”東京の新人時代、素晴らしい環境と高い意識の中で鍛えて頂いていたんだな。”と後になって思いました。

ただ、当時の大阪の現場の上司・先輩が悪い訳ではありません。
その現場もいろいろな背景から、着工当初より結構厳しい状況だったようです。
僕が着任したその時は正に躯体工事最盛期で、非常にバタバタしていました。
そんな時に「転勤で来た若手が何だか張り切ってやり始めた。しばらく、様子をみていようか?」といったいった状況だったと思います。
なので、そんな僕を温かく見守って頂いた皆さんには感謝です。

そして、残念ながら、がんばれていたこの現場でも”事故(?)、事件(?)”が起きてしまいます。

躯体が完成し、内装工事が最盛期を迎えようとしていた頃だと思います。

僕が現場から少し離れた現場事務所に戻ろうと、仮囲いの潜戸を潜った瞬間に
「火事だ〜!」
という声が聞こえました。
とっさに現場内に戻り、その場所へ向かおうと辺りを見回した時、正面のシースルーエレベーターの吹き抜けの中を真っ黒な煙がモクモクとすごい勢いで上がっていくのが見えました。
地下からでした。
「あかん!消防呼べ〜!」
鍛治工の職長さんの声が聞こえました。
階段を駆け下り扉を開けると、天井スラブを真っ黒な煙が這っているのが見えました。
幸い煙は充満しておらず、作業員さんたちは立ったまま避難して来ました。

しばらくして消防隊が駆けつけて、消火活動が始まりました。
そんなに時間が掛からず消火されたと思います。
本当に幸いなことに大きな怪我人は無く、避難の時に煙を吸った(かも?)ということで、1人2人?が念のためということで病気に搬送されて行きました。
僕が見た煙の勢いからすると、奇跡的に軽微な被害だったと思います。

しかし、それとは裏腹に周囲は騒然としました。
何しろ、現場は”なんばのど真ん中”です。
消防車は十数台駆けつけ、上空では報道のヘリが飛んでいたようです。
その日の夕方のニュースでバッチリ報道されていました。

でも、僕たちが驚いたのは、その内容でした。
【建設会社のコメントでは「竣工期日には影響ありません」とのことです】
『え?ただでさえ、ギリギリの状態だったのに?一体誰がコメントしたんだ?』#嘘だろ?

火災の原因ですが、これも良くわかりませんでした。

火元と思われる場所で作業していた作業員さんの話しでは「地下1階で間仕切壁の軽鉄下地を天井側(1階スラブ下面)で溶接している時、正確には溶接作業を終えて、足場を降りようとした瞬間に頭上で”ボン”という破裂音がして見上げると、火が天井面を一気に走っていった」ということでした。
スラブには断熱のための発泡ウレタンを吹き付けており、更に天井レスだったため、発泡ウレタンに黒く塗装を施していました。

ウレタン部分がほぼ全焼(全溶?)していたので、ウレタンが媒体であったのは間違いないと思います。

支店の技術担当や技術研究所の方々が来て、いろいろ実験も行っていたようですが、塗装したウレタンに直接火をつけても、あのように爆発的に燃えることは無く、はっきりとした原因はわからないようでした。

「ウレタン表面に引火性のガスが溜まっていたのでは?」との話もありましたが、1階部分に割りと大きな吹き付け開口が開いており、それも考えにくい話ではありました。(ただ、それ以降の工事は、念のために大量の送風機を地下1階に配置して、換気には万全の体制を取りました。)

必ず原因はあるはずなのですが、結局分からず仕舞いで、不思議な事故になってしまいました。

その後の現場はと言えば、消火活動で濡れてダメになったもの、火災でダメになったものを撤去・交換・復旧という更なる手間を急ピッチで行い、更に激しい突貫状態に突入したものの、なんとか所定の工期内で竣工を迎えました。#やれば出来る

現場のメンバーは、達成感というよりは安堵感が強かったのか、静かに完成の余韻に浸っていましたね。

こうして僕は”大阪ひとつ目の現場”を終えて、次の現場へと異動になりました。

※本記事ベースのVTube動画です。→ https://youtu.be/I8WBtPOmsbE