建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その5〜

Photo by voice_watanabe

【僕の現場スタート】

僕はゼネコンの現場の工事係で仕事をスタートしました。
研修を経て配属された現場は、都内の大規模再開発の現場でした。
現場は更地の状態で、正に一から始まる現場で、起工式や準備工事から携わることが出来ました。

ただ、僕が最初に任された仕事は、普通の工事係の仕事とは違っていました。

その再開発工事の現場敷地に一画だけ不自然に食い込んでいる近隣敷地がありました。
その方は再開発に反対して用地買収に応じず、その地に留まられたとのことでした。
その地には工場が建っていて、精密機械の部品の加工・製造を営まれていました。

現場の工事は、8時から17時まで。
まず始まった工事は、掘削・土工事。
しかし、僕の役目は現場内にありませんでした。
僕の役目は、その近隣の精密機械工場の2階の一室に設置された振動計を監視して、規定の数値をオーバーしたら、すぐさま無線で現場内で動いている重機を止めることでした。#何それ?

精密機械工場の社長さんとの取り決めで、「工事の振動で、生産部品に不良品が出ないように細心の注意を払い、対応すること。ついては、工場内の要所に振動計を設置して、監視員に監視させ、工事の作業をコントロールさせること。」となっていたようで、その監視員に僕が指名されたということです。

“何故、新入社員が?”
単純です。
現場で一番戦力にならないからです。
戦力は本業、やるべきことに投入する。
当たり前ですよね?
だから、新入社員の僕の役目になった訳です。
つまり、僕に与えられた仕事はゼネコンの本来業務では無い全くイレギュラーな仕事であり、僕の置かれた環境は、ある意味異常事態だった訳です。
同期でこんな経験をした人はもちろん誰もいません。
そして、この役目は、4ケ月続きました。

しかし、振り返ってみれば、このことは僕にとって、『良かったのではないか?』と思っています。
“何故か?”
それは、『工事を行うものは近隣の方々、周辺の住民の方々に配慮しなければならない』ということを肌身で理解することが出来たからです。

とかく、工事現場は仮囲いと呼ばれる壁の中で世界が完結しがちです。
若ければ尚更、外に気を配る余裕は持てないことが多いです。

そんな中で、僕はちょっと変わったスタートをしたことで、自然と現場の周りの状況を気にする・気にできるようになれたと思います。
当時の上司も「これは大事な仕事だ」と言ってくれていました。
その時は、何も分からずただ一生懸命に与えられた仕事をしていました。
今思えば、その上司の言葉も満更嘘ではなかった気がします。#ならば何故新入社員に?

ただ、その工場の社長さんは、はっきり言って『超恐かった』。
ちょっと派手な振動が起こるたびに、僕のいる部屋に「なんだ、今の振動は〜!」とすごい剣幕で怒鳴り込んできました。
10台以上動いてるパワーショベルを一旦全部止め、1台ずつ動かして、原因と思われる重機を特定し、動き方に注意を行い、作業再開ということの繰り返しでした。

また厄介だったのが、現場自体が軟弱地盤で、振動が伝わりやすい上に、どこからどう振動するのかわからない状態だったことです。
なので、工場に近い位置で作業をしている重機に注意を払いながら監視をしていると、全然離れた場所で作業している重機の影響で振動が起こるということが度々でした。

そんな緊張感たっぷりの環境でしたが、もうひとつとても厳しいことがありました。
それは、”睡魔”との戦いです。
想像して下さい。
工場のまあまあ広い会議室の中でパイプ椅子に座り、手には無線機を握りしめ、窓から現場の重機を見つつ、振動計の針の動きを監視する。

部屋には僕以外誰もいません・・・。
多少歩き回ることは出来ますが、社長さんが入ってきた時、振動計の前にいなければ、僕は”何のためにいるのか?”となるので、やたらは動けません。
ずっと、座ったままです。

これ、めちゃくちゃ厳しいです。

正直、ウトウトしてたところに社長さんが急に現れ、叱られたこともありました。#寝起きドッキリのようにそーっと来たりしたこともあった

そして、その状況が4カ月経とうかとした時に、当時の所長が、「そんな状態が続くのも良くない」と思って頂けたのか、僕の替わりの人(警備会社の方でした)を用意してくれて、僕は晴れて監視役を解かれることになりました。

社長さんとの窓口でもある直属上司から、僕が交代することが社長さんに知らされました。
すると、なんと社長さんが僕の直属上司と共に食事に誘ってくれたのです。
あたかも、送別会のようでした。
その食事会はめちゃくちゃ緊張しました。
よく考えたら、社会人として取引相手(ちょっと違うけど)の方と会食するなんて初めてのことでした。
何を食べたのか、何を話したのかはよく覚えていません。

ただ、はっきり覚えているのは、その社長さんが僕に「よく我慢してやったな。しっかり仕事をしてもらったよ。」と労いの言葉を掛けてくれたことです。
とても、嬉しかった。
思い返せば、会社の上司よりも先に褒められたかも?
社会人として仕事して、僕を初めてちゃんと褒めてくれたのは、社長さんかも知れません(苦笑)。#多分そう

そして、社長さんは、僕たちに対して、決して嫌がらせをしているのではないこと。
自分の取引先に迷惑をかけないように、不良品は出せないこと。
工事の影響で不良品が出てしまえば、作り直しを余儀無くされ、自分の工場の社員にも影響が出てしまうこと。
何よりも、「そんなことが起きるのではないか?」と心配で、うるさく厳しく僕たちと向き合っている、と話されました。

当時は、『それはそうだよな』と言葉の理解はしていましたが、仕事でのキャリアを重ねるうちに、”責任”というものもだんだんとわかってきて、あの時の社長さんの責任感の詰まった言葉が重みを増して思い出されます。

あの経験、あの言葉を聞いたお陰で、今の僕の現場の見方が仮囲いの中だけに留まらず、常に近隣環境を意識することが出来るようになったのかな?と思います。

1年半後、僕はその現場から大阪に転勤になりました。

その食事会以来、社長さんとはお会いすることはありませんでした。

あれから25年以上経ちますが、あの時の仕事はこうして結構詳細に書けるほどに、僕の中でのインパクトは大きかったです。

そして、他の人がなかなか体験出来ない変わった仕事でしたが、”悪くなかった”と心底思います。

※本記事ベースのVTube動画です。→ https://youtu.be/1QICYHKQ2rs