建設現場でがんばる若いゼネコンマンへ 〜その25〜

【やはり、現場は無理だ・・・】

それにしても、あの時の僕はというと、すごく時間を気にしていました。
働いている時間というか、”仕事に使っている時間”ですね。
なので、”家を出てから、家に着くまで”ということになります。

あの時は、朝6:30頃に家を出て、帰宅する時間は、大体平均して23:30くらいだったかと。
ちなみに、通勤時間は、片道約1時間程度。
毎日約17時間の”拘束”。
これは、とてつもなく嫌でした。
(現場では無くとも、このくらい働いている人は少なくないのでしょうが。)

正直、一刻も早く帰りたかった。

完全に後ろ向きです。

もちろん、毎日、現場管理の仕事をし、その後デスクワーク等々、一日の自分の仕事が終わるまで(終わったと思うまで)、一生懸命に仕事しました。
自分なりに・・・。

ただ、現場って極論すると、竣工するまでやることはある訳で、やろうと思ったら、”やることなんて、いくらでもある”んですよね。

まあとにかく、統括所長を筆頭に誰も帰らない。
帰ろうとしない。
恐らく、皆さん、やるべき仕事があったんだと思いますが。
好き好んで、夜遅くまで仕事していた訳では無いだろうとは思います。
(ただ、統括所長の顔色見ながら、お互い牽制し合ってるようにも見えました。)

僕は僕で、しっかり十分な仕事が出来ていたかと言えば、胸を張って「やった」と言えるものでは無かったかも知れない。
周りからしたら、物足りない働きだったかも知れない。

でも、とにかく気持ちが後ろ向きなので、この”拘束されてる感”が嫌で嫌でたまらなかった。
実際は、”拘束”なんてことは無かったのでしょう。
でも、そう感じちゃってたんですよね。
なんとも情け無い感じですが、とにかく『嫌だ』という記憶が強いです。

そんな感じで、日々、強烈なストレスと共に仕事をしていました。

しかし、そんな中でも、収穫はありました。

“解体工事”です。

大きな工場跡地だったので、大小合わせて5〜6棟の建物があったと思います。
30m近い煙突もあったり、かなりのボリュームでした。

これは、貴重な経験になりました。
作ることはやってきましたが、”壊す”ことは無かったので。

外壁や躯体の解体は、とても注意が必要でした。
特に、敷地境界際の外壁を解体する時は、外部に足場兼用の防音パネルを張ってはいるものの、コンクリート片が外に飛べば、そこは一般の方が歩いている歩道です。
外壁が外側(道路側)に倒れれば、大事故になる訳です。

工事をする解体業者さんはさすがに慣れたもので、作業手順を僕に細々と教えてくれました。
僕はしっかり理解して、『そのやり方・その考え方で、理屈にあっているか?』『安全は確保出来るか?』ということに注意して、綿密に業者さんと打合せしました。

業者さんは、やはり、少しでも早く楽に作業を終わらせたいと考えます。
そのため、ちょっとした作業上のトラブルだったり、些細なイレギュラーは、力技でやってしまおうとしがちです。
事故を起こしたい人なんて誰もいないのですが、そんな”ちょっとしたこと”で、重大な事故が起こってしまいます。

特に、解体工事は、そんな危険を非常に多く含んでいることを感じました。
なので、僕は解体業者さんの技術を信頼している上で、『現場で、打合せや計画と違うイレギュラーなことが少しでも起きた時は、必ず僕を呼んで欲しい。』と伝えました。

経験豊富なとても優秀な業者さんです。
僕に相談するまでも無く、自分達で難なく処理してしまうでしょう。
しかし、僕はそこだけは、しつこく言いました。
何かあった時に、”知らなかった”は許されないからです。
そこは、本当に理解してくれて、ちょっとしたことでも、僕を呼んでくれました。
そのおかげで、現場の状況をよく把握することができ、同時に解体工事について、いろいろ学ぶことが出来ました。

優秀な業者さん達のおかげで、解体工事は順調に進捗していきました。


しかし、工事の順調な進捗とは裏腹に、僕は限界を感じていました。

『やはり、現場は無理だ・・・』

僅か半年程度だったと思います。

正直、この時も申し訳無い気持ちでいっぱいでした。
統括所長をはじめ現場スタッフの方々はもちろん、僕のことを思い、いろいろ配慮して頂いた調達の上司方々。

全く期待と思いを裏切ってしまうことになります。

しかし、この時の僕には、もうひとつ確信がありました。

『調達でなら、僕は会社の役に立てる。』
『現場では無理だけど、調達でなら。』

僕は、調達部の上司であったKさんにメールしました。
“もう現場は厳しい”ということと、”出来れば調達に戻して頂きたい”ということを伝えました。

そこからは、また、嘘みたいに展開が早かったです。

約2週間後には、僕は再び調達部にいました。

正直、とてもホッとしました。


現場の皆さんには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、

『僕がこのまま現場にいたら、いつか本当に迷惑をかけることになるかも知れない。』

という恐れは本当に感じていました。

『どこかで大きなミスをするのでは無いか?』

と。

なので、解体工事が完了し、新築工事が本格的に始まる前のこのタイミングで、と考えました。
僕自身、勝手に区切りをつけていました。

再び、僕は現場を離れました。

そして、

『もう現場に戻ってはいけないな』

そう思いました。

調達部に戻ってからは、すぐに以前の調子を取り戻しました。

担当アイテムが、首都圏を除く”AW・ACW”に変わりましたが、要領は同じでした。
むしろ、関係する専門業者さんに変化があり、新鮮な気持ちで取り組めました。

後から人伝てに聞いたのですが、僕がKさんにメールを送ってすぐくらいに、僕のもう一人の恩人でもあるUさんが、

「あいつが戻ってくるから、この席を空けておくように。」

と、その時座っていた後輩に席替えを命じていたそうです。

そのタイミングって、本当に僕がメールを送ってすぐだったようで、ということは、すぐに僕を受け入れてくれる判断をした、ということでした。

いろいろ社内調整が必要だったはずですが、”受け入れる”前提で、動いて頂いたということになります。

これを聞いた時は、本当に嬉しかったです。

“必要とされている”、”認められている”と勝手に解釈して、ひとりで喜んでいました。

『やはり、僕にとって、ここが”天職”だ。出来れば、ずっといたいな。』

本気でそう思い、そう願っていました。


しかし、その願いは叶いませんでした。