【”クライアントは敵では無いよね?”という話】
“クライアントは敵では無い”
当たり前の話ですね。
「お客様は神様です」
なんて言う言葉もあるくらいですから。
ただ、最近ではこの言葉も正しく捉えられるようになってきた気がします。
以前は「”お客様は神様”だから、言うことは絶対だ!」みたいなニュアンスに捉えられていたことが大勢だったような気がしますが、実際はそうでは無くて、
『仕事をさせて頂ける(自分の価値を認めて頂いた)お客様は神様みたいに有り難い存在だ』
ということだと僕は理解しています。
なので、”クライアントの利益を最大化するように、最善を尽くして結果を出す”というのが、仕事を与えられた者の使命だと思っています。
であれば、時にクライアント自身がプロジェクトに対してマイナスとなりかねない、受け入れ難い指示・提案をされることがありますが、その時は、その内容を受け止めた上で、ベストな道を探るべく、クライアントと一緒にしっかり話し合って、意思を共有して次のステップに進む必要があります。
そうすることで、気持ち良く、確実に目指すゴールに近づくと思います。
しかし、時にはその大事なクライアント(お客様)と相対してしまう時があります。
特に、僕達のような建設プロジェクトだとそのようなシーンに当たることが少なく無いという印象です。
建設プロジェクトは、いろいろな役割の人がいろいろなフェーズから関わってきます。
一番多くの人が関わるのは、やはり現場、”工事段階”ですね。
それこそ、土を掘ったり足場を建てたり、鉄筋を組んだり壁紙を貼ったり、電線を配線したり空調機を設置したり。
現場作業の中では、それこそ多くの役割の人達が大勢関わって、建設プロジェクトが進んでいきます。
みんな大事なプロジェクトメンバーです。
その中で、プロジェクトに一貫して関わることができるのは、クライアント・設計者(工事監理者)、それと僕達”プロジェクトマネジャー”といったところでしょうか。
(※設計施工一括の場合は、施工者(元請のゼネコン)も含まれます)
このコアメンバーは、建物や施設が出来上がる前、もっと言えば「こんなものが作りたい。」「こんなことがしたい。」というクライアントの希望を聞くところから、関係が始まるところが特徴になります。
戸建住宅のような建売の場合は、既に出来上がったものを購入するので違うかも知れませんが、注文住宅や従来の建設プロジェクト(改修工事を含めて)では、”クライアントがどうしたいのか?”を共有するところから関係性が始まります。
僕は『クライアントと設計や施工を請ける受注者、プロジェクトマネジャーは、達成するべきゴールを共有した”パートナー”である』と考えています。
しかも、運命共同体に近い強固なパートナーであると思います。
時には意見がぶつかることもあると思いますが、それは”より良いゴールを迎えるため”であり、みんなが幸せになるための行為です。
そこをしっかり共有していれば、お互い理解し合えて一緒に進んでいけると思っています。
事実、しっかり理解し合えて、信頼関係が築けたクライアントとは気持ち良く仕事ができて、満足して頂ける結果を出せています。
なので、僕の考えは決して間違っている訳では無いと思っています。
ただ時々、クライアントと受注者(設計者・施工者)で、うまく関係性が築けていない状況を目にします。
特に、コストで課題が見えた時に、この傾向が強く出るようです。
例えば、受注者から「そのお話しは当初無かったものです。それを希望されるなら、予算はオーバーして、設計(工事)期間も延長になります。決定事項を指示して頂けますか?」ということが起きた時です。
この時、クライアントは困惑して悩むことになる訳ですが、同時に「受注者の言っていることは本当だろうか?そんなに金額が上がるのだろうか?工期も延ばさないといけないのだろうか?」と反射的に思ってしまいます。
受注者は受注者で、「ここでハッキリしておかないと、この先で強く押し込まれてしまうかも?」という心理が働いているかも知れません。
いずれにしても、ある課題が見えたことによって、いきなりお互いが対峙して、静かにファイティングポーズを取った形になってしまっています。
これを解消するには、『事実を正確に捉えて、お互いに協力して課題解決に取り組むことを共有する』ことに尽きます。
これさえできれば、大抵の課題は乗り越えることができると思います。
例え、クライアントが予算を増額することになっても、受注者が見積金額を見直すことになっても、そこには一定の納得感があるからです。
クライアントも受注者も、ひとつのプロジェクトを成功に導くという意味では、お互いが大切なパートナーです。
ゴール・目的が正しく理解できていれば、お互いがきちんと役割を果たしながら、しっかりと進んでいけると思います。
“クライアントは敵では無いよね?”というお話しでした。