『地方』が『都会』を救う!?

「都会の人は誤解している」全市町村一周青年が、過疎村・秘境村で見たもの
https://bunshun.jp/articles/-/35185?page=1

2年かけて全市町村一周の旅を敢行した、広島大学経済学部4年生・仁科勝介さんに関する記事でした。

とても素晴らしい旅・挑戦だと思います。

その旅の記録で僕の印象に残ったのは、
「過疎地域に住む人たちは不便な生活を憂えているのだろう、という感覚を都会人は抱きがちだが、実際は違うようだ。コンビニが近くになくても、鉄道が走っていなくても、住んでしまえばそこが都、その不便さが当たり前になり、嘆きの対象にはならない。」
というところです。

僕の仕事の一部でもあり、ライフワークでもある”地方創生”。
「人口減少・過疎化に悩む地方を元気にして、日本全体の活力を上げることに貢献したい。」と思い、プロジェクトに取り組んでいます。

一般的には、”地方は過疎化に苦しんでいる”と言われていますが、実際に関わってみたり、(特に行政の方に)話を聞いてみても、そこまで苦しんでいるように見えない、聞こえないことが少なくありません。
皆さん口々には「大変だ」「何とかしなければならない」とは仰いますが、いざ、”具体的な対応・アクション”を提案すると、途端に腰を引き出したりします。
これが何とも不思議で歯痒い感じで、モヤモヤしていました。
最近では、『実は、地方はそれほど困っていない。地方創生は大して望んでいない。』と自分なりに現状を解釈しているところでした。

そんな時に仁科さんの記事を読み、更に納得感を深めました。

このまま『地方』は”不便さに慣れ、人口減少を許容し、やがて消滅していくことも仕方なし”ということになるかも知れませんが、そこに暮らす人たちが特に不便さを意識すること無く、自分なりの満足感を感じながら生活を送り、やがて人生を全うする、ということであれば、これも”幸せ”ですよね?

一方で『都会』はどうでしょうか?
確かに利便性は高いですが、過度な人口集中のため、生活のコスパは良いとは言えないでしょう。
高齢化による医療・介護問題も、ずっと言われ続けていますが、解決に繋がるような話は聞かないですよね?
もしかしたら、都会で暮らす人たちは、都会での生活は厳しく、不安と嘆きの中で人生を終えることになるのかも知れません。

となれば、『都会』と『地方』、どちらが幸せの可能性が高いのでしょうか?
一概には言えませんが、都会が優っているとは言い切れないと思います。

そうであれば、実は、
『都会(の人)が過疎の地方(の人)を救う』
のでは無く、
『地方(の人)が息苦しい生活となった都会(の人)を救う』
のでは無いか?と思います。

地方の発展は、地方の人たちだけのためでは無く、むしろ、都会の人たちの”セーフティーネット(自分たちの新たな居場所)”の獲得のために必要なのでは無いでしょうか?

時代が進むごとにテクノロジーが進化して、人間の生活が都会を中心にどんどん便利になっていきます。
全国均等に発展するようにとは言いませんが、地方でもどんどんテクノロジーを取り入れて、便利になっていく必要があります。
不便に慣れてるとは言え、必要な便利さがいらない訳では無いと思うので。

便利さに慣れきってしまった都会の人たちは、便利さを求め、便利さが無い生活は許容出来ないでしょう。
増して、テクノロジーはどんどん進化するので、そこから逆行あるいは極端に進化のスピードが遅いのは耐えきれ無いと思います。

だから、その”地方で必要な便利さ”を得るために、都会の人は自分のため・自分のこととして、”地方に対して、何が出来るか?”を考え行動することが求められると思います。

実際は、政治・制度、その地方での文化・感情などいろいろなハードルがあります。

ただ、『”都会”と”地方”の共存の意識』は確実に必要です。

特に都会に暮らす人たちは、自分の今後の人生・生活を考えた時に、もう少し地方を深く見つめても良いのでは無いでしょうか?

そんなことを考えました。

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